コンテンツへスキップ

カート

カートが空です

記事: 茶道家・平野良頓の茶道の世界を解き明かす

Unraveling Tea Master Hirono Ryoton

茶道家・平野良頓の茶道の世界を解き明かす

歴史の最も素晴らしい部分は、謎を解き明かす興奮にあると言っても過言ではありません。特に、歴史の表面には現れない人々や出来事の謎を解き明かそうとする試みは、歴史の大きな喜びの一つです。

当社では、最新の抹茶コレクション「宇治物語」を通じて、最近宇治の時代に戻ったばかりです。この機会に、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて京都に暮らした茶人・廣野了頓をご紹介したいと思います。

まず最初に、廣野了頓について、出生年や死亡年、本名など、多くのことが不明である点をご説明しておきます。しかし、彼の足跡は現在も京都の中心部にある「了頓図子」と呼ばれる狭い路地で確認することができます。


ただ彼の足跡は、今も京都の中心地にある「了頓図子(りょうとんずし)」という細い小路に残されている。

鴨川に架かる三条大橋から三条通を西に進み、烏丸通を越えて2本目を左に入るとそこが「了頓図子」だ。正式な道の名称は、衣棚通で、三条通から六角通の間の約100mが「了頓図子」と呼ばれる。

(ハイライトされた部分が了頓図子の場所です)

 

(廣野了頓を記念する石碑)

『雍州府志(黒川道祐著 1682-1686)8 P37』に

「足利家代々の従臣である廣野家が、将軍義晴、義輝の時代にこの地を領有した。その後、末裔である廣野了頓が剃髪してこの地に茶亭を構え、常に囲炉裏に釜を置いて、客人が来るとお茶と菓子をふるまった。当時、豊臣秀吉が、京へ入洛した折りには必ず新町三条南にある伊藤家を訪れていて、了頓邸が近かったので訪れた。秀吉公の急な来訪にも関わらず、秀吉公が了頓にお茶を請うと、嫌な顔もせずに、沸騰した釜の湯で茶を点てるので、秀吉が了頓の志に大変感動して家領を与えたという。この所以により、この町は了頓辻子と呼ばれる」

 

 

とあります。了頓の人柄がうかがえるようなエピソードですね。

(画像:国立公文書館(日本)、https://www.digital.archives.go.jp/img/4242019)

この逸話は、了頓が秀吉に茶を振る舞う際、突然の訪問であっても躊躇や不満なく、既に熱湯を用意していたことを示しています。これは日本の茶道の重要な原則である「準備の徹底」「謙虚さ」「抵抗しない姿勢」を反映しています。

秀吉に対する彼の謙虚なもてなしの行為は、彼に土地と歴史的な評価をもたらしました。彼は、日本の茶文化で深く重視される「静かな準備」「謙虚さ」「真摯なもてなし」という茶の精神を体現していました。

廣野了頓は歴史の偉大な記録には登場しないかもしれませんが、彼の存在は残っています:やかんから立ち上る蒸気の中、静かな京都の街角の穏やかな曲がり角、そして茶の無言の言語の中に。

彼の物語は、達人とは名声ではなく、日常の優しさと存在感の行為にこそあることを教えてくれます。茶の芸術を旅する中で、了頓の精神が私たちを導いてくれるように:謙虚に奉仕し、派手さなく準備し、過去と現在を結ぶ繊細な儀式の中に意味を見出すこと。

 

コメントを書く

このサイトはhCaptchaによって保護されており、hCaptchaプライバシーポリシーおよび利用規約が適用されます。

全てのコメントは、掲載前にモデレートされます

Read more

Build Your ImmuniTEA This Summer ☀️

水出し緑茶で免疫力アップ ☀️😎

夏場のお茶の楽しみ方のひとつとして、人気の水出し緑茶。 リーフやティーバッグに水を注ぐだけで手軽に作れるので、大量に水分を摂取したいときにも重宝します。 この水出し緑茶ですが、最近の研究によって、免疫力をアップさせる、ということがわかってきました。 お茶に含まれるカテキンには、4種類あります。カテキンはポリフェノールの一種です。 緑茶では、EGCGの量が最も多く、全カテキン量の約半分を占め...

もっと見る